方法への冒険
本章は、沢木耕太郎へのインタビュー形式で綴られている。既に読み終えた章にも同じような答えが返ってきている場合がありますが、違った角度からの質問は彼のルポルタージュを「書く」という方法へのアプローチを詳しく理解できる良い機会だ。
私ノンフィクションの芽生え
僕が生きていくプロセスみたいなものが、ある対象とぶつかって、それと共に生きていくことでノンフィクションにならないか、ルポルタージュにならないか、という思いが芽生えてきたんです。
私小説に対して私ルポルタージュというか、私ノンフィクションというか、そういったものが成立しないか、なんて考えているうちに、アッという間に一年が過ぎてしまいましてね。
同じ方法で書くということはコピーにしかならないという考え
読者の中には、ぼくが『敗れざる者たち』の世界を再生産していくことを望んでいる方が、かなり多くのいると思うんですね。しかし、それは厭なんです。自分が自分をコピーするなんて最悪じゃないですか。繰り返すことで成熟するとか、円熟するとか、というより、いまのぼくにはコピーしてゆくという感じが強いんです。
コピーではなく、さらに深化させて創っていくという作業は、ものすごく大変なことだと思うんですね。勿論、だからといって逃げる必要はないけれど、いまとりあえずは、一度できた方法や手法をぶっ壊していった方が面白いんじゃないかという気がしてならないんです。
形容詞を排除し、短いセンテンスを重ねてスピード感を出す
初期の頃は形容詞をできるだけ排除していこうと努力していましたね。要するに、状態を形容詞で説明するのではなく、その前のセンテンスで描いてしまう。短いセンテンスを重ねていって、スピード感を増していく。それは、ある編集者との共同作業を通じて教えられてたんですが、ぼくもその態度こそがノンフィクションを書く上では正しいものだと思いましたね。
人間を描いていく上で、相手とのトラブルは生じませんか
書かれた人間からそれはないんじゃないか、といわれることは絶対にないという自信はありますね。最大の心づかいと注意を払った上で書いているつもりです。ぼくは書き終わっても、その人間と付き合っていきたいですからね。書くことが、現実に存在する人間よりはるかに重いものだとは思えないんですよ。
ノンフィクション・ライターに必要な力
ノンフィクションを書く上での文章、つまり取材した材料を整理したりまとめたりするための文章は、ある程度までは訓練しだいでどうにかなるかもしれません。しかし、大事なのは、情報収集力や分析力であるより、まず自分にとって何が最も面白いのかがわかってくることだと思うんです。
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書く立場の人が質問しているインタビューは、奇妙に感じる部分もあるがわたしにとって聞きたい部分が詰まった章だった。
彼の書くための方法論も面白いが、ちょっとした当たり前の感覚を表す言葉がグッとくる。
「ネタを探しながら世の中を見回しているなんて、ちょっと寂しすぎると思うんだな。(笑)」
割り当てられたノルマ(仕事)を回すために、日常でもネタを探せるような癖をつけることが成功への道だと考えていた。しかし、それは成功への道であって、大成功への道ではないのかもしれない。
自分にとって何が最も面白いのか理解することが一番大事であり、何が最も面白いか問いかけつつ、ひっかかったことを心のなかにメモっておくことが大事なのだろう。
- 作者: 沢木耕太郎
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