ネットのライオン

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積み木のように

ルポルタージュを初めて書く場合の問題

 沢木耕太郎は初めてルポルタージュを書くことになり、対象にいかに取材を承諾させるかを乗り越えれば99%が終わったものだと考えていたようだ。残りの1%である表現することは取材を承諾させられれば自ずと解決すると考えていた。

 表現することは自ずと解決することはなく、彼は悪戦苦闘することになったようだ。

 「調べること」に成功するためには忍耐力と技術が必要で、「書くこと」にはまた違った技術が必要だと彼は言っています。

私の書こうとするルポルタージュは、その一枚の紙の中に在った。そして私もまた、その符号によってあらわされた「部分」を、どこに配することが最も効果的かを考えつつ、書いては消し、あるいは置いてはまた移し替えていたのであった。

結論へ達するために性急に論を進めたり、理路整然たる一貫した流れを持たなくとも、無理ないのではないかと思えるようになったのである。そればかりか、部分が全体に隷属するのではなく、部分がひとつの全体であり、部分と部分が共鳴し合い、細部がきらめくことで世界が形ぢくられるという傾向を持つこと、あるいは志向することは、それなりに意味があるのではないかと考えるようになった。

 彼は立原道造の詩から、「スケッチブックに書いた消したりしていた」の文章から上記のような方法を導きだし解決したようだ。

 

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 タイトルである「積み木のように」は得てして軽く見てしまうものだ。10000時間の積み上げの法則ではないが、一つの課題に向き合う時間をつくる技術と向き合い続ける忍耐力。わたしも本ブログを更新し続けられるように計画を見直す必要がありそうだ。

 今は当日に記事を書いているが5日分の予備記事を用意し、記事を更新していく必要があると思う。記事公開までの時間をあけることで再度読み返し、誤字脱字や読みづらい分掌を直す機会につながる。

 

路上の視野〈1〉紙のライオン (文春文庫)

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